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2000系全編成の紹介

 こんにちは。
78型の配管や妻面の写真について、沢山の方々からコメント等を戴きありがとうございました。
今回は2000系を紹介したいと思います。2000系は2101編成~2120編成まで8両編成20本、160両の世帯でした。
S37に営団地下鉄日比谷線との相互直通運転開始に伴いS36から新製が始まりS46まで製造されました。
当初は4両編成でしたが、旅客の増加に伴いS39に6両化、S46に8両化が行われています。
S48から塗装が、オレンジ・ベージュからセイジクリームに変更されましたが、その後塗装変更は行われず、引退までセイジクリームのままでした。
廃車は、S63の2110編成から始まり、H5.8.1に2118編成がサヨナラ運転を行い全車引退しました。
それでは各編成を紹介していきます。

①2401-L041-36-S620717
2101編成のモハ2401です。S36.7ナニワ工機製です。廃車は、S63.12です。
2101+2201+2351+2251+2551+2651+2301+2401の編成でしたが、8両化の時点で新製された2551+2651は、2080系の2182(2552)と2382(2652)に改造されました。また、2351+2251も2080系改造の2558+2658を捻出するため、2108編成に編成替えを行いH1.10まで活躍しました。
S62.7.17 新田駅での撮影です。高架複々線の工事が進んでいます。

②2402-205-7-S570524
2102編成のモハ2402です。S36.7日本車両製です。廃車は、H1.1です。
2102+2202+2352+2252+2552+2652+2302+2402の編成でした。この編成も8両化の時点で新製された2552+2652が2080系の2182(2552)と2682(2652)に改造されています。
S57.5.24 東武動物公園駅で撮影です。日比谷線相互直通運転20周年のサボが入れられています。
当時の東武動物公園駅の引上げ線は、踏切の浅草方にあり撮影に重宝しました。

③2103-746-21-S630216
2103編成のモハ2103です。S37.2日本車両製です。廃車は、H2.2です。
2103+2203+2353+2253+2553+2652+2303+2404の編成でした。
S63.2.16 西新井~竹ノ塚間での撮影です。この辺は今でも昔と変わりませんが、間もなく始まる高架工事で大きく変わろうとしています。

④2104-S530505
2104編成のモハ2104です。S37.2日本車両製です。廃車は、H1.11です。
2104+2204+2354+2254+2554+2654+2304+2404の編成でした。
S53.5.5 新田~蒲生間での撮影です。草加市と越谷市の境で当時は田園風景が広がっていました。
高架複々線化でこの付近も大きく変わりましたが、後方に見える久伊豆神社の松は30年以上経った今も健在です。

⑤2105-202-17-S570515
2105編成のモハ2105です。S37.2日本車両製です。廃車は、H2.9です。
2105+2205+2355+2255+2555+2655+2305+2605の編成でした。
S57.5.15 草加駅での撮影です。地上時代の懐かしい草加駅です。2105が停車しているのは、2番線ホームで上下共用の退避線でした。共用とはいっても、専ら下り電車の退避に使われていました。上りは夕方に準急が2本退避していたのを覚えています。

⑥2106-747-19-S630326
2106編成のモハ2106です。S37.2日本車両製です。廃車は、S63.3です。
2106+2206+2356+2256+2556+2656+2306+2406の編成でした。8両化の時に新製された2556+2656は、2080系の2381(2556)と2481(2656)に改造されました。また、2080系の改造種車を捻出するため、S63.3に編成替を行い2356+2256は2113編成に組み込まれ、H2.3の廃車まで活躍しました。
この写真は、以前にも掲載していますが、S63.3.26 越谷駅での撮影です。2080系改造に伴い中間の4両を抜かれ登場時の4両編成に戻り、北館林荷扱所へ回送されました。廃車回送の模様は以前の記事をご覧下さい。

⑦2407-5037 705 701 703 S570607
2107編成のモハ2407です。S37.2ナニワ工機製です。廃車は、H3.3です。廃車が遅く、廃車の時点で2080系の増備が中止されていたため、中間者も2080系に改造される事無く廃車となっています。
2107+2207+2357+2257+2557+2657+2307+2407の編成でした。
S57.6.7 越谷駅での撮影です。退避線にクハ705の団臨「たびじ」が停車しています。この日の編成は、705+5705+701+5701+703+5703の編成でした。普段から予定臨の3037レで運転されることが多かったのですが、客扱いの都合かこの日は5037レとして運転され、越谷駅で退避線に入っていました。

⑧2108-725-26-S620702
2108編成のモハ2108です。S37.2ナニワ工機製です。廃車は、H1.10です。
2108+2208+2358+2258+2558+2658+2308+2408の編成を組んでいましたが、S63.12に2558+2658を2080系の改造種車に捻出するため、編成替が行われ2558+2658を2351+2251に変更しています。
2108+2208+2358+2258+2351+2251+2308+2408の編成となりました。
S62.7.2 五反野~梅島間での撮影です。西新井工場の出場試運転で、普段と違い急行線を走行しています。
試運転は、西新井~北春日部~鐘ヶ淵~西新井の行程で行われ、写真は試7302レです。

⑨2409-794-28-H010529
2109編成のモハ2409です。S37.2ナニワ工機製です。廃車は、H4.4です。
2109+2209+2359+2259+2559+2659+2309+2409の編成でした。なお、2109はS42.9.28に中目黒駅で事故のため大破し、S43.6ナニワ工機で車体新製を行い復旧されました。
H1.5.29 西新井~竹ノ塚間での撮影です。この日、竹ノ塚検車区に営団03系の第一編成の搬入がありその際に撮影したものです。

⑩2110-L038-24-S630210
2110編成のモハ2110です。S37.2ナニワ工機製です。廃車は、S63.2で2000系の中で一番最初に廃車されました。8両化時の新製車2560+2660は、2080系の2181(2560)と2681(2660)に改造されました。
2110+2210+2360+2260+2560+2660+2310+2410の編成でした。
S63.2.10 南千住駅での撮影です。引退の情報を聞き撮影に行ったのを覚えています。

⑪2111 863-7883-S570607
2111編成のモハ2111です。S41.5ナニワ工機製です。廃車は、H3.9です。
2111+2211+2361+2261+2561+2661+2311+2411です。
S57.6.7 蒲生駅での撮影です。並んでいるのは、クハ863の各駅停車北春日部行です。863+7864+863+7863+883+7883の編成でした。2107には日比谷線相互直通運転20周年のサボが入れられています。地上時代の蒲生駅、懐かしいですね。S51~54まで高校に通学のためこの駅を利用していました。

⑫2412-766-29-S631007
2112編成のモハ2412です。S41.5ナニワ工機製です。廃車は、H5.7で末期まで残った編成です。
2112+2212+2362+2262+2562+2662+2312+2412の編成でした。編成中の2362は、S43.1.27営団日比谷線の広尾~六本木間で火災を起こし全焼し、S43.11にナニワ工機で車体新製を行い復旧しています。
S63.10.7 春日部駅での撮影です。営団車の代走らしく「64S」の運用番号を付けています。当時、上りの北千住行は無く、日比谷線でも東武車を使用したA線の北千住行も無かったので「北千住」の方向幕が出るのは大変珍しいことでした。この電車は北千住で浅草方面の6番線に入り、日比谷線の5番線には南千住から回送されてきた営団3000系の64Sと接続し、回送で鐘ヶ淵へ行ったと思われます。

⑬2413-782-20-H10215
2113編成のモハ2413です。S41.5日本車両製です。廃車は、H2.3です。
2113+2213+2363+2263+2563+2663+2313+2413の編成でしたが、S63.3に編成替えを行い、2080系の種車として2563+2663を捻出し2356+2256を組込んでいます。
2113+2213+2363+2263+2356+2256+2313+2413の編成になっています。
H1.2.15 西新井~竹ノ塚間での撮影です。

⑭2114-785-25-H010304
2114編成モハ2114です。S41.5日本車両製です。廃車は、H5.3です。
2114+2214+2364+2264+2564+2664+2314+2414の編成でした。
H1.3.4新田駅での撮影です。高架複々線工事が進み、高架線になっていますが複線のままで駅の仮ホームの状態です。

⑮2115-765-21-S630914
2115編成モハ2115です。S43.7日本車両製です。廃車は、H3.3です
2115+2215+2365+2265+2565+2665+2315+2415の編成でした。
S63.9.14 西新井~竹ノ塚間での撮影です。2115~2418編成はDRC1720系の台車を流用しています。

⑯2116-640-1-S610418
2116編成モハ2116です。S43.7ナニワ工機製です。廃車は、H4.12です。
2116+2216+2366+2266+2566+2266+2316+2416の編成でした。
S61.4.18 西新井~竹ノ塚間での撮影です。竹ノ塚~西新井間は、地上を走行するため撮影に適した場所が多くあります。

⑰2117-663-28-S610713
2117編成モハ2117です。S44.4ナニワ工機製です。廃車はH5.1です。
2117+2217+2367+2267+2567+2667+2317+2417の編成でした。
S61.7.13 西新井工場での撮影です。梅島方の電留線を塀の外から撮影したものです。工場の社員が設定したのか、「快速・浅草行」を表示しています。工場は移転し、今はここは道路になっています。

⑱2118-757-12-S630815
2118編成モハ2118です。S44.4ナニワ工機製です。廃車は、2000系の中では一番遅くH5.8です。H5.8.1にサヨナラ運転を行い2000系は全て引退しました。
2118+2218+2368+2268+2568+2668+2318+2418の編成でした。
S63.8.15 西新井~竹ノ塚間での撮影です。この時点で複々線は草加まで延びていました。草加駅では、将来下り緩行線となる線路を使った引上げ線で折返しをしていました。複々線となる前は、草加行は最終電車1本のみでしたが、大晦日の終夜運転は、浅草~草加間で行われていました。草加行が消え久しく、今年3月のダイヤ改正で草加行が復活するようです。竹ノ塚付近の高架線工事に伴い、3本ある折返し線が一部使えなくなるための処置のようです。しかし、今の草加駅には引上げ線を作る余裕など無さそうなので、駅手前に渡線でも作るのでしょうか。

⑲2119-L024-12-S630303
2119編成モハ2119です。S45.5日本車両製です。廃車は、H5.2です。
2119+2219+2369+2269+2569+2669+2319+2419の編成でした。
S63.3.3 草加駅での撮影です。撮影時草加駅は、高架複々線工事はほぼ完成していましたが、複々線にはなっていません。右中央の途切れた線路が草加折返しの引上げ線となる線路です。

⑳2120-L049-32-S620203
2120編成モハ2120です。S45.9日本車両製です。廃車は、H5.7です。
2120+2220+2370+2270+2570+2670+2320+2420の編成でした。
S62.2.3 谷塚駅での撮影です。地上時代の谷塚駅は上下に退避線を持つ2面4線の駅でしたが、高架複々線で緩行線の島式ホーム1本だけになります。この時は工事の途中で上下共用の退避線がありました。

今回は、2000系の20編成を紹介しました。なお製造年月は、2101~2410編成は最初の4両の2111~2120編成は最初の6両の製造された年月です。
いつも沢山の方々に、ご覧戴きありがとうございます。
お気付きのことがありましたら、コメントをお願い致します。

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コメント

非公開コメント

No title

 こんばんは。2000系のどれかが、中目黒駅引き上げ線で衝突事故を起こし、その場で廃車になりませんでしたでしょうか?当時、東急大井町線沿線の学校に通っていて、行きは大井町迂回、帰りは事故の様子を見ながら東横線経由で帰ってきました。

ところで、懐かしいとおっしゃっています西新井、竹の塚間の動画を公開されている方がいらっしゃいます。
http://nicoviewer.net/sm15578094
これをきっかけに、西新井駅の変遷と環七の開通に関心が出てきまして、私の家にあった歴史図鑑で大師線の事故の様子の写真に見入ってしまいました。
旧西新井駅構内をはっきり移した写真が少なく、いろいろ探しています。

No title

私は長年竹ノ塚に住んでいましたが、2000系の北千住行きには遭遇した事ありませんでした。
今では東急1000系が日比谷線内折り返し運用に入ってますが、東武の20000系はその運用はありませんね。

いつも貴重な写真を見せて頂き、ありがとうございます。

No title

はじめまして。
突然の質問ですが当時の中目黒行きは<span style="background-color:#FFFF00;">草加</span>ぐらいから押し込まないと入らないぐらい混んでいたんですか?教えていただければ幸いですが。

Re: No title

 こんにちは。
花様、コメントありがとうございます。

S50年代後半、朝の通勤電車はもの凄く混んでいました。草加駅では、本社の旅客課員やアルバイトの写真が整理にあっていましたが、準急電車は押込まないとドアが閉まらない状態でした。各駅停車はそれ程ではありませんが、中目黒行はかなり混雑していました。
一番混雑が酷かったのは、北千住で7時50分~8時20分がピークでした。

No title

ありがとうございます。 実をいうと私の通っていた高校(場所は王子)の男性の事務員さんで越谷に住んでいた方がいるんですかあまりに<span style="background-color:#FFFF00;">東武線</span>のラッシュが凄まじいのでたまに気持ち悪くなって学校の洋式トイレでよく吐いていたということが ありました。彼の話だと朝の当時の<span style="background-color:#FFFF00;">東武線</span>は蒸し風呂、下手をしたら乗れないと疲れきっていました。彼は何とルートを変えて南越谷→南浦和→京浜東北で王子というルートに変えたらだいぶ楽になり顔色もよくなりました。
話ずれましたが今の<span style="background-color:#FFFF00;">東武線</span>は当時よりはTXも出来たしつい最近宇都宮線上野東京ラインも出来たから利用客は相当減ったと思いますが管理人さんはどう思いますか?
長々と失礼しました。

Re: No title

 こんにちは、花様。
コメントありがとうございます。

昭和50年代~60年代にかけて、伊勢崎線のラッシュは凄まじかったと思います。準急はおろか各駅停車もギュウギュウ詰めで、北千住駅などはよく事故が起きなかったなと思います。複々線が伸び、編成両数が長くなったため今はかなり改善されいますね。TXや日暮里・舎人ライナーの開通もあり、伊勢崎の旅客はそちらに移転していると思いますが、上野・東京ラインの開通では北千住から日比谷線を利用していた旅客が常盤線に移転しているように思います。

No title

ありがとうございます。
日暮里舎人ライナーですか、なるほど。
確かに足立区の見沼公園とか鹿浜とか今まで西新井までバスで行っていた方がシフトした可能性はあるかもしれませんね。
前に申し上げたTXは一般的には常磐線の混雑緩和が目的に作られた路線ですが常磐線が大きな影響を受けたのは言うまでもありませんがまさか東武線まで影響を受けるとはびっくりです。
ところで上野東京ライン開通で久喜または栗橋以遠の人が大手町でる人が今までは半蔵門線始発並んでいた人がこれからは真っすぐ東京駅出れるから宇都宮線ルートに変えると私は予想しますが管理人さんはどう思いますか?
長々と失礼しました。

Re: No title

 こんにちは、花様。
コメント、ありがとうございます。

今まででも、伊勢崎線の久喜乗換、日光線の栗橋乗換で東北本線を利用して東京方面へのルートが一般的で、上野・東京ラインの開通により、この傾向には更に拍車がかかると思います。更に、幸手や南栗橋の旅客も栗橋経由での利用が多くなっている様に感じます。通勤の場合は、定期代は会社負担の場合が殆どで少々高くても会社が認めれば、利便性の高いルートに流れることになると思います。

No title

ありがとうございます。 宇都宮線は通勤快速が夕方にあるし都心から久喜以遠または栗橋以遠に帰るときなんか尚更便利ですよね。大宮から久喜までノンストップだし。
今は<span style="background-color:#FFFF00;">東武</span>線より宇都宮線の方が混雑激しいと聞くと時代の流れを感じるばかりです
話変わりますがもし将来豊洲~住吉まで有楽町線分岐がつながってそのまま押上へ行き<span style="background-color:#FFFF00;">東武</span>線と直通運転したら宇都宮線から<span style="background-color:#FFFF00;">東武</span>線へお客さん流れると思いますか?私は仮に直通区間が館林までいて快速が乗り入れたら料金が安いから流れると思います。
長々と失礼しました。

Re: No title

 こんにちは、花様。
コメント、ありがとうございます。

東北本線は、国鉄時代から列車本数を増やしてきたため、沢山の乗客で賑わうようになったと思います。
これも東北新幹線が開通し、特急・急行が無くなることで線路容量に余裕ができた新幹線効果だと思います。
東海道本線と直通したことで更に便利になり、旅客も増えるのではと思います。
有楽町線の延伸については、全く現実味が無くなんとも言えませんね。

No title

こんばんは。
宇都宮線は便利なのはいうまでもなく東大宮とか蓮田、遠くは古河とか小山以遠の宅地開発で沿線人口が増えていますよね。夕方の通勤快速、日中のラビットが設置されたのもその所以ではないでしょうか。
昭和50年代~60年代前半は日中は一時間に2本、朝は7本、夕方は6本だったと知人からお伺いしました。
それが今じゃ上野行だけじゃなく湘南新宿ライン、上野東京ラインと選択肢が広がって現在に至っています。
ところで東武線の話になりますが私が東武線沿線の大学生になった時は北千住のホームが三階と一階に
なった元年であり朝の中目黒行きの混雑は駅員さんが押し込んで入れていたのを毎日目の当たりにしてました。今じゃ色々路線ができたので混雑が緩和したのは利用者からしたら有難いでしょうけど東武線が
"にぎやか"な時代を知る自分からしたらなんだか寂しい気持ちになってしまいます。
今後東武線が昔のようなにぎやかな時代に戻るのは無理でしょうけど少しでも活気ある、お客さんを増やすにはどのようにすればよいと思いますか。
私は半蔵門線直通を増やして押上どまりを北越谷止まりにする、直通区間を延長して新栃木または館林にする、それくらい大改革をしないと極端な話宇都宮線からお客さんを戻すことはできないと思います。
東武線は私にとって"青春"で愛着があるからこその考えで申し上げさせていただきました。
長々と失礼しました。

Re: No title

 こんにちは、花様。
コメントありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません。

東北本線は国鉄時代から増発が行われ、列車本数も増え便利になったので利用者も増えました。東武伊勢崎線も昭和の頃は、朝のラッシュ時など本当に酷い混雑でした。この時代は本当に東武の賑やかな時代であったかと言うと、どうかと考えます。異常な混雑で遅延も出て、ホームも歩くのが危険な位でした。その後、複々線化や半蔵門線ルートの新設などの輸送力増強がなされ、混雑も緩和されました。関係者の方々の努力に頭が下がる思いです。
また、半蔵門線直通が始まり昼間の急行も殆ど10両編成となりました。このため輸送形態を久喜と南栗橋で分けたは賢明だと考えます。10両編成が日中館林や新栃木に行っても輸送力過剰となるだけです。日光線などは当時は1時間に1本の6両編成の電車が走るだけでしたが、今は4両編成とは言え30分間隔でそれなりに便利になっていると思います。

おはようございます。
懐かしい東武の車両、貴重なお写真を拝見させて頂きありがとうございます。
全編成を記録されているとはすごいですね。
この車両が現役だった当時、人気があったのか分かりませんが、もしかすると地味な存在でもあったのかと思っています。改造された2080系はキワモノを見るような興味は持たれたのかと思いますが、短命に終わってしまいました。
この次の世代の車両も、もう少しで引退ですね。18m車の走る地下鉄に20m車が走れるとは、考えたこともありませんでした。7両編成になるところに、設備の限界を感じますが、日比谷線との相互乗り入れが、次の時代に移るように感じます。
他の記事も楽しませて頂きたいと思います。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

Re: タイトルなし

 こんにちは、風旅記様。
コメント、ありがとうございました。

今年度末には、日比谷線直通用の70000系が入るようです。これにより20000系統の転用が開始されると思われます。
どの様に転用されるか、他社の譲渡されるのかは楽しみなところですが、8000系の淘汰用としてローカル区間に進出する
ことも考えられます。2080系の様に短命で終わる事なく第二の人生が長く続くと良いなと思います。
プロフィール

東武73・78型旧型電車

Author:東武73・78型旧型電車
昭和60年に消えた、東武鉄道の73・78系の懐かしい写真を紹介します。


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