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サボについて

 こんにちは。
8月下旬より8111編成の復活運転が始まりました。8111編成をデビュー時のオレンジ・ベージュに戻しています。製造から約50年が過ぎ冷房改造など色々な改造を受けていますが、前面は良く原型を残しています。動体保存を実現して戴いた東武博物館の方々の英断に感謝したいと思います。確かに製造時と比べ細部は異なりますが、この様な動体保存が実現できた事に大変意義があると思います。通勤通学輸送に活躍し、誰にも省みられること無くヒッソリと消えて行った車両達を思いうかべ撮影に行って来ました。また、団体ツアーにも参加参加しましたが乗車等を通じ少しでも貢献できればと思います。

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写真は、9.30に谷塚駅で撮影した上りの臨時列車とうきょうスカイツリー行です。写真を撮りながら、サボが入っているのが確認できました。中々凝ったサボで保存運転の良いアクセントになっています。今回はこのサボのデザインについて紹介致します。今回8111編成が付けているのは丸型のデザインで本線系統の普通列車用のサボです。

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写真は、本線系統(伊勢崎・日光線)とその支線の普通列車用に使用される丸型のデザインのサボです。S56.8.13春日部駅での撮影で831+7832+832+731+884+7884の編成です。途中から伊勢崎線の準急用の文字だけのタイプに変更されてしまいました。「東武動物公園」等はこのタイプのサボはありませんでした。

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伊勢崎線の支線である、桐生線の普通列車にも丸型のデザインのサボが使われています。H元.1.30太田駅で撮影した桐生線449レのクハ3453です。方向幕があるのに、なぜサボを使っているのと思うかもしれません。この449レは赤城に着くと折返し館林行となり、館林検修区に入区します。この写真で使われているのは、「館林・赤城間」のサボです。方向幕には、「館林⇔赤城」は入っていません。前運用の「太田⇔赤城」の方向幕のまま赤城へ行くと、赤城駅は上毛電鉄駅で東武の駅員はいません、また当時は車掌も方向幕は変えませんでした。赤城に着いて折返し列車が誤表示にならない様に、太田駅で方向幕をずらし「館林・赤城間」のサボを入れます。折返しの館林行で太田に帰ってきたところで、サボを回収して方向幕を館林行にします。この様な絡繰りで、当時の449レと466レは毎日サボ付で運転されていました。

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大師線でも、丸型のデザインのサボが使われていました。S60.7.8西新井~大師前間での撮影でモハ8578です。この日亀戸線の運用を終えて西新井に回送されてきた8578の方向幕の歯車が固着して動かなくなり、非常用として西新井駅に常備してあったサボを付けての運用となりました。

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チョットピントの甘い写真ですが、小泉線の普通列車909レでH元1.10館林駅での撮影で701+5701+704+5704+703+5703です。当時小泉線は終日3050系か稀に8000系で運用されていてサボは使用していません。写真を見ると57型の西小泉行で駅員に頼んでサボを付けてもらった「やらせ」だと思われるかもしれません。
当時毎年1月になると、伊勢崎線とその支線の各駅から成田山初詣の団臨が運転されます。朝、伊勢崎線又は支線の駅を発ち牛田まで団臨で行きます。牛田から京成関谷へ歩き京成電車の団臨で成田山へ向かいます。夕方にはこの逆のパターンで戻ってきます。小泉線・佐野線・桐生線には朝夕の時間帯に団臨のスジを入れる余裕が無かったので、定期列車を57型に変更して団体客と一般客の混乗で運転されました。

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栃木駅で撮影した日光線と各支線のサボです。S59.9.24の撮影です。この後紹介しますが、日光線の準急や快速には山型のデザインのサボが使われていました。

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日光線の準急・通勤快速には山型のサボが使われていました。写真はS59.6.4小菅駅での撮影で243レ7879+879+7877+877+7880+880の編成です。

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221レ通勤快速東武日光・東武宇都宮行です。S56.8.7牛田駅での撮影で7806+806+7828+827+7827+828の編成です。日光線の列車なので山型のデザインのサボが使われています。末期には、伊勢崎線の準急用と同じデザインの文字だけのタイプが多くなりましたが。この東武日光・東武宇都宮行のサボだけは最後まで山型のデザインのものが使われていました。

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伊勢崎線の準急用のサボは、無地で文字だけのデザインとなっていました。写真はS56.9.14五反野~梅島間で撮影した7801+801+7833+834+7834+833の準急伊勢崎行です。伊勢崎線の準急用のサボはシンプルで末期はこのタイプが全線区へ波及しました。

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野田線のサボも伊勢崎線準急用と同様に、無地の文字だけのタイプでした。写真はS49に春日部駅で撮影したモハ5312です。54型の更新が終わると野田線に残る旧型電車(3000系も旧型電車ですが)は5310型2本だけになりました。当時はネットなどの情報も無くリコーオートハーフを片手に友達と1日春日部駅で53型が来るのを待っていました。53型が更新された後、方向幕の故障時を除きサボを使用する車は無くなりました。

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この3枚の写真は全て浅草行ですが、サボのデザインからどの線区発の列車か判断することが出来ます。
1枚目は、丸型にデザインの浅草行なので各駅停車で幸手・杉戸・北春日部あたりから来た電車だなと分かります。S54.6 幸手 7800+800+7801+801
2枚目は無地の文字だけのタイプなので伊勢崎線から来た準急電車だと分かります。452レで羽生発の準急浅草行です、7844+844+7884+884の編成でS59.9.21五反野駅での撮影です。ホームに停車しているのは、736レ北春日部発の各駅停車浅草行でクハ8458他です。
3枚目は、S59.4.14に姫宮駅で撮影した256レ7873+873+7882+8827881+881の編成です。山型のデザインから日光線系統発の電車であるころが分かります。東武宇都宮発の準急浅草行です。

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末期になると、各線のデザインは無視され全てシンプルな文字だけにタイプが多くなりました。写真はS59.9.20東武宇都宮駅の撮影で右が452レ875+7875+880+7880で左が254レ877+7877+874+7874です。本来なら右の栃木行は丸型、左の準急浅草行は山型のサボになるはずですが、いずれも従来のデザインを無視した文字だけのタイプになっています。

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無地の文字だけのタイプが多くなると、他のデサインのサボも間違った使われ方をすることが多くなってきました。それとも基準は無くどれを使用しても良くなったのかもしれません。写真はS59.4.9の撮影で鷲宮駅で撮影した535レ準急館林行です。7844+844+7841+841+7839+839の編成ですが、先頭の7844のサボが各駅停車用のものになっています。館林行の各停用のサボは、浅草発の各駅停車館林行もしくは、伊勢崎発の各駅停車館林行等のため作られたと思います。最後尾の839は無地の正当な表示となっています。
S59.5.1で館林の78型は全車春日部に転属となり、館林の運用もあと僅かとなっていた頃です。

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これは、朝の通勤快速浅草行220レでS59.5.26北千住駅での撮影です。7870+870+7845+846+7846+845の編成です。これも本来山型の浅草行のサボを使用するところ、各駅停車用の丸型のサボが使われています。上記の編成は、一緒に編成を組んでいることが多く更新後も一緒に組成され5176編成になりました。

今回は8111編成の付けていたサボに鑑み、サボのデザインについて紹介しました。
いつも沢山の方にご覧いただきありがとうございます。もし、間違った点がございましたらご指摘戴ければ幸いです。
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コメント

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サボ使用の原則について

こんにちは。
サボのデザイン使い分けの件は、実はきちんと考えたことがなかったので、正直のところ驚きました。
私が同じ頃撮影した写真を見てもたしかに伊勢崎線優等無地、日光線と宇都宮線の優等山形、各線普通丸形という原則が見分けられます。
試みに、私が借りている昭和40年頃の写真を軒並み調べてみましたが、やはり各線でご指摘の通りであるようです。ただ、鬼怒川線内ローカル運用のサボで「鬼怒川公園・新藤原」が山形になっているという例外を見つけました。
昭和30年代のサボは鉄板にペンキ書きで、優等用のサボのみ行き先にローマ字が表記されていました。昭和40年代のプラスチック製(FRP製)のものよりローマ字が消えています。

館林行きの丸形各停サボですが、もともと長距離各停に使っていたものの転用ではないでしょうか。私もひところ、浅草・太田で裏表のサボを持っていたことがあります(残念ながら、今はありません)が、これも各駅停車の運用があったようです。

お写真で懐かしいなと思ったのが栃木駅のサボ置き場の写真です。右端の「東武宇都宮」のサボはアルミ製で、銀色のアルミの地に青の印刷でした。持ち手もプラ製のものと異なり、鉄板時代の、デッカーなどの引っかけ式に対応したものがついています。これは栃木地区だけだったようで、すぐ下の宇都宮準急の写真と7枚下の浅草行き準急にも使われています。一目で新栃木車だとわかる目印でした。

サボの運用が駅扱いだった理由

栃木駅の写真でもう一つ気がつきましたが、左端に78形使用の時刻が書かれています。東武は折り返しで全く違う線区に入る運用が多く、サボの運用が車両のそれと独自にならざるをえない状況を示しています(たとえば伊勢崎準急→宇都宮準急、新栃木で前2両切り離しのためサボ掲出位置変更)。サボの管理は駅でしかできなかったのも道理ですね。これが方向幕の時代になっても、他社と違って返しが駅担当として続いていた理由なのでしょう。「赤城・館林間」のサボは、おそらく東武で一番最後に残った、前サボ使用の定期運用列車だったと思います。

No title

 春日部駅で野田線の旧型電車の二色塗装を見たような記憶があったのですが、昭和49年では見ていません。夢か何かで見たのでしょう。

3扉に改造された5310系は、短命だったそうですね。鉄道ピクトリアルでもあまり語られることがなく、むしろ最近では「なかった」ことになっているような感じもします。

サボについて

こんにちは。
東上沿線出身だと、まるサボは川越市のイメージですが、きちんと意味が有ったのですね。
昔の写真を見直してみたら、確かにその法則になっていますね。
一方、東上の73・78系は、当初はパタパタ式の行き先表示はついていましたが、種別はテールライト上の引っかけ金具に付けていて、サボ受けがついていませんでしたね。
32系もパタパタ式の行き先表示だったので、この頃から本線と東上線では文化が違ったのですね。

Re: サボ使用の原則について

 こんにちは。沢山の方からコメントを戴きありがとうございます。
「鬼怒川公園・新藤原」の山型のサボですが、これは本来浅草からの直通準急に使用したものではないでしょうか。昭和40年代の末か50年代の初期まで新栃木検修区の78型の運用で草加を16時18分発の準急列車で「東武日光・東武宇都宮・鬼怒川公園(新藤原)」行がありました。草加駅で78型に3列の駅名の入ったサボを見かけました。栃木地区はサボの取扱いが徹底していて、通勤快速「東武日光・東武宇都宮」行では新栃木で分割の際にそれぞれの列車に単独の行先表示のサボに差し替えをしていました。その3分割の準急が下今市で日光線と鬼怒川線に分割する時に鬼怒川線の編成に山型の「鬼怒川公園・新藤原」を付けたのではないでしょうか。昭和53年のダイヤを見ると朝夕は5000系(3070系)の列車が多数あります。この時点で78型の運用は無くサボは使用していません。このダイヤの5000系の運用は昭和49年頃までは全て53系だったので鬼怒川線もサボを使う列車が多かったと思います。ただ、新藤原行に(鬼怒川公園)が入るのは浅草方面からの列車に限ると思います。地元の人達が利用する鬼怒川線のローカルは、丸型の「新藤原」を使用していたと思います。昭和47年の鉄道P誌の東武特集を見て翌年の昭和48年に新栃木に53.58系を見に行った想い出があります。小学生だったので写真は少ししか撮っていませんが、更新前の53.58系を見ることが出来ました。この時点で全車がオレンジ・ベージュの普通列車の塗装になっていて、車内も全てロングシートでした。また、トイレも残っていましたが5寸釘でドアが開かないようにしてありました。中間運転台で機器を撤去され4両固定で運用されていた編成も多くシールドビーム化されていない一つ目ライトが残っていたのが印象的でした。モハ5320やモハ5800は国鉄43系のようで大好きな電車です。クハ500をモハ化したモハ5317~19.24も良かったですね。野田線用のデハ10系のモハ5310型4両固定3ドア車が新栃木に貸し出され宇都宮線の運用に入っている写真も見たこのがあります。もし昔に行けるのなら、まっ先に新栃木にの53.58型と都内の都電各路線を訪ねてみたいものです。

側面サボ

こんばんは。
森林公園所属編成の8000系6連の内、8107・11・13Fが冷房改造遅くなったためかそれまでの編成とは異なるクーラーキセ付けていたのを思い出します。

さて正面サボの話題からずれて恐縮ですが、側面サボの使用はいつ頃まで行われていたものなのでしょう?
8000系の後期車になっても装備しており、本線なら使用機会あるだろうから未だに付いているのかと幼少の頃思った次第です。

Re: 側面サボ

こんにちは。コメントありがとうございます。
私も側サボの記憶は余りまりません。S40年代末~50年代初頭まで存在した、準急東武日光・東武宇都宮・新藤原行は新栃木の78型の運用で2両ずつ分割するため、各車に側サボを入れていたのを覚えています。また、通勤快速の東武日光・東武宇都宮行も私が写真を撮り出したS54年頃には殆ど使われていませんでしたが、比較的末期まで側サボを使用していました。また、車内の貫通路の上に日光線や宇都宮線の表示をしていました。いつの頃から無くなっていまったのかは不明です。それと最後まで側サボを使用していたのは亀戸線で曳舟⇔亀戸の側サボを最近(10年位まえかな)まで使用していました。8000系でも側サボを使用していましたが、更新が進み自動幕が設置され、いつの間にか無くなってしまいました。

Re: No title

こんにちは。コメントありがとうございます。
野田線の七光台には、3ドアに改造されたモハ5310型が配置されていました。S49~50にかけて5000系に更新されました。5000系の5104編成と5105編成に更新されています。S49年に5312+353+5313+352が入場して5104+5404に5105+5405なっています。その後、新栃木の5801+345+5801+344が次に入場して5106編成になりました。七光台の5310+354+5314+350はS50年の初頭まで残り、53系の種車としては最後の入場になったと思います。5310の編成は中間車の5201+5301と5202+5302更新されました。
サボのところで載せた写真はモハ5312で、リベットが厳めしい姿でしたが5310の方は余りリベットは目立ちませんでした。3ドアロングシートになっていましたが、とても好ましいスタイルで大好きな電車の一つでした。
伊勢崎線の急行が1800系に置き換えられた後に、一時団体用として春日部検修区に配置されていて余り使われる事無く4両固定3ドアロングシートに改造された様です。何号かは忘れましたが、鉄道ジャーナルのデハ10物語に小さな写真ですが、3ドアロングシート改造後で春日部配置時代の写真が出ています。また、当時中学の友人から新栃木の停車中の5310型の部分的な写真を見せて貰いましたが、先頭部だけですが客室の窓がサッシになっていたり新栃木配置のモハ5311とは違っていました。後になって新栃木で入場などのため車両が足りなくなると七光台の5310型を借入していたことを知りました。

No title

横サボの使用状況についてですが、古い写真を見ますと、昭和41年ぐらいまでは、長距離列車、ローカル列車にかかわらず、すべての車両に横サボがつけられているのが確認できます。状況が変わるのは昭和43年ごろで、ローカル列車の横サボは省略され、長距離列車は両先頭車のみの掲出になっています。しかし、すぐ横サボ使用自体が取りやめとなり、その後はチョン行の支線や、特別な分割併合を行う一部の列車のみの掲出になっています。

8000系も上のような原則で横サボを使っていました。増備の最終期には先頭車だけ側面サボ枠が設置され、中間車は省略されていましたが、横サボ使用の最後の頃を想定してのことかもしれないと考えています。

No title

なお、以上の原則は本線系統の話で、東上線や、本線系統の都心近くのローカル列車では昭和30年代から掲出されていなかったようです。
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東武73・78型旧型電車

Author:東武73・78型旧型電車
昭和60年に消えた、東武鉄道の73・78系の懐かしい写真を紹介します。


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