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小倉川砂利取り線、大谷線の廃線跡

 こんににちは。
東武宇都宮線西川田駅から分岐していた大谷線、壬生駅より分岐していた小倉川砂利取り線の廃線跡についてコメントをいただきました。S60年代前半まで廃線跡が明確に残ってい架線柱や鉄橋等も残っていました。
何枚か同線の廃線跡の写真が、出てきましたの紹介させていただきます。

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437-7.jpg
S59.10.17 壬生付近
最初は壬生駅から分岐していた、小倉川砂利取り線の廃線跡です。S59.10の撮影ですが既に軌道は撤去され架線柱と架線の一部が残っていました。廃止の明確な時期は判りませんが、電化され電気機関車が入線していたようです。
今は、この付近は廃線跡さえ探すが困難な位何も残っていません。

738-21.jpg
734-24.jpg
S63.1.11 大谷線 西川田~荒針
西川田駅で降り、大谷線の跡を荒針方面に歩きました。道路への転用が進んでいましたが通信用の電柱などもまだ残っていました。緩いカーブが鉄道の線形を物語っています。

738-26.jpg
S63.1.11 西川田~荒針
暫く歩くと廃線跡が明確になってきます。草木が生い茂り自然に還ろうとしています。
これらの場所も、道路になってしまい今は面影はありません。

738-30.jpg
738-31.jpg
734-1.jpg
S63.1.11 西川田~荒針
途中には、道路を越える鉄橋も残っており、アプローチ部分にはキロポストやレールが一部残ってました。

738-32.jpg
S63.1.11 西川田~荒針 JR日光線の近くまで来ると、道路への転用工事が行われていました。この先、JR日光線を越える鉄橋なども残っていましたが、この日は鶴田駅から日光線で日光へ行き東武日光から帰宅しました。

739-7.jpg
S63.1.11 東武日光 944ㇾ3176+3276+3376+3476
帰りはモハ5800型の更新車である3176編成でした。944ㇾ発車時には、冬の短い陽も暮れかけ日光の山々がオレンジ色に染まっていました。ガラガラの944ㇾで新栃木まで吊り掛けのサウンドを堪能しながら帰路につきました。

いつも沢山の方々にご覧いただき、ありがとうございます。

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コメント

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No title

貴重な写真の掲載ありがとうございます!
大谷線の写真で何枚か、うる覚えですが近所の風景が写ってまして
当時を振り返ってます。
砂利取り線は中学生の頃、宇都宮から乗って小倉川を渡ると分岐線に機関車が1輌
が何度か停車していた記憶があります。
高校に入学して通勤に利用してましたが、いつの間にか撤去されてしまいました。
懐かしい写真ありがとうございます。

勘違いしてました

機関車が停車していた分岐線は野州大塚付近の思川でした。

小倉川砂利線と大谷線

こんにちは。
小倉川砂利線は壬生駅から現在の線路の西側を並行し、3つ目の踏切から左に分かれて南下していきます。長らく蒸機での運用でしたが、昭和36年の宇都宮線の側線電化の際に電化されています。私が確認した架線柱には「36-11」のプレートが残っていましたので、昭和36年の末または37年初頭から電機に切り替えられたものと思われます。

廃止は平成元年なので、それまで列車が走っていたような記述が散見されますが、昭和40年には既に運転がなかったという話を聞いています。電化されてから2年ほどの命だったわけです。線路敷は東武の用地として架線柱を残したまま維持されましたが、昭和59年に壬生町に売却され、昭和61年に架線柱が撤去されました。

宇都宮線から分かれて南西から南に向かうカーブは区画整理が行われて、ほとんど線路敷は残っていませんが、南にまっすぐ向かう線路敷は拡幅されて町道になっています。

大谷線は、昭和60年代前半まで、西川田駅北方でわずかに枕木とレールが宇都宮線と並行する形で残っていました。大谷石積み込みと列車入換の拠点となっていた荒針駅は、大谷街道を宇都宮市街から西へ走り、宇都宮市役所出張所や大谷石材協同組合、足利銀行のATMがある一角に隣接するパチンコ店の駐車場のあたりです。荒針駅の線路の向こうには桜の木があり、現在も3本が残って当時を偲ばせています。

荒針から立岩への線路敷はほとんど残っており、立岩駅跡地にはそれを示す標識が立っています。現在の大谷観音を囲むように人車の線路が張り巡らされており、注意深く歩くとその痕跡が細い道となって残っています。

昭和30年代の宇都宮線の貨物列車は、野州大塚から柳原側線、壬生から小倉川側線、大谷線、東武宇都宮までの車扱列車(昭和34年に東武宇都宮百貨店が開店するため、それ以降は南宇都宮までに変更)があり、大谷線以外は昭和36年末ないし昭和37年初頭に無煙化、最後に残った大谷線は昭和39年6月に廃止され、蒸機の煙が消えました。

Re: 勘違いしてました

 こんばんは、健一様。
コメントありがとうございます。
野州大塚側には、柳沢側線がありこれが一番最期まで残りました。ED5000型がトキを何両も牽いて柳原の側線に停車していたのを覚えています。しかし、ここも78型の最期の頃(S59秋頃)には、殆ど運転されていませんでした。

Re: 小倉川砂利線と大谷線

 こんばんは、booklet様。
コメントありがとうございます。
宇都宮線の貨物側線について、詳しい解説ありがとうございます。
大谷線の廃止からちょうど50年が経ち、痕跡も消えていきますね。
プロフィール

東武73・78型旧型電車

Author:東武73・78型旧型電車
昭和60年に消えた、東武鉄道の73・78系の懐かしい写真を紹介します。


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