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モハ7865について

 こんにちは。
このところ、仕事が忙しく中々更新が出来ず申し訳ありません。
今回は事故復旧車で78型唯一の高運転台となった、モハ7865について紹介します。

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モハ7865は、7860型の一員としてS33.12日立製作所で製造されています。モハ7860型は7861~7868の8編成が作られ試験塗装車として4パターンの塗装でデビューしたことは有名です。S43頃より4両固定化され、7865編成は中間に7866編成を組み込み7865+866+7866+865の編成となりました。中間に組み込まれた7866と866は、最初のうちは野田線の8000系の様に運転室の機器を撤去しただけでしたがS40年代の末に運転台を撤去して完全な中間車になっています。
モハ7865はS45.10の踏切事故復旧の際して、高運転台となり復旧されました。永い間、春日部検修区に配置されていましたが、春日部検修区には4両運用は2運用しかなく中々先頭に立つ姿を撮影できませんでした。
この写真は、S56.6.18 北千住~小菅間での撮影で、445レ準急羽生行です。

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オレンジ・ベージュの時代の写真も1枚ありました、S49 杉戸駅での撮影です。野田線にモハ5310を撮影に行ったときのものです。6両運用の中間に組み込まれていました。

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モハ7865の写真は、結構紹介されていますが4両固定の他の車両の写真が載っている事は少ないので他の車両についても紹介します。一番上からモハ7865、モハ7866、サハ866、クハ865の順です。7866の方も7865と同じ、S33.12日立製です。4枚ともS56.6.15北千住駅での撮影です。当時北千住駅には、牛田方に予備ホームがありここで退避を行っていました。839レ北春日部行です。

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S56.6.15 春日部駅での撮影です。452レ準急浅草行ですが、当時準急は15分おきで4両だと混雑していました。

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S56.6.18 草加駅での撮影で、346レ伊勢崎発の準急浅草行です。地平時代の懐かしい草加駅です。

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これも前の写真と同じ、S56.6.18の撮影で谷塚~草加間です。こちらは、452レ羽生発の準急浅草行です。

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先程、準急浅草行で上った452レは839レで折返してきます。これで北春日部へ帰り運用は終わりです。前の写真と同じS56.6.18の撮影で、草加駅に停車中の839レです。この写真は高運転台になったのと反対側を撮影しました。こちら側は特に変わっていない様に見えます。

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S56.8.18 五反野~梅島間での撮影です。複々線の区間で遠くに736レモハ7801が小さく見えます。当時は複々線区間は北千住~竹ノ塚間だけでした。

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S56.6.16 北千住駅での撮影で、346レ伊勢崎発準急浅草行です。改良前の北千住駅で懐かしい雰囲気が漂っています。

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S57.2.23 和戸~久喜間での撮影です。普段はこの様に中間に組み込まれることが多かったです。

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S56.3.18に松原団地~新田間で撮影しました。839レの北春日部行です。この当時草加市内にもこの様な田園風景が残っていました。当時の春日部検修区4両運用で78型の運用は、北春日部から527レで伊勢崎へ折返し346レで浅草へ来て、445レ~452レで羽生を一往復して839レで北春日部に入庫おなるパターンでした。

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S56.11.26 松原団地駅での撮影です。西新井工場に入場し、出場試運転を行っているところです。試7301レです。これが7865にとって最後の入場になりました。

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この試運転はカラーでも記録していました。試7302レで越谷駅に戻ってきたところです。車体が綺麗に塗装され美しい姿となっています。

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本来ですと、試運転を行った日の夕方に所属区に回送されるのが常ですが、試運転の翌日西新井工場を訪ねてみると7865は出場しておらず屋根の補修を行っていました。数日後屋根の補修が終わり春日部検修区に帰っていきました。この後の7861や7863編成の時は試運転日の午後に出場しています。

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ついに7865とのお別れの日が来てしまいました。S58の5月末7865編成は更新のため西新井工場に入場しました。丁度、熊谷線の廃線と重なり7865の入場回送は撮れませんでした。S58.6.1に7838編成に牽引され解体のため杉戸へ回送されました。S58.6.1 西新井~竹ノ塚 回8041レ 7838+838+7865+866

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S58.6.1 杉戸に回送され解体線に押込まれました。下の写真は、S58.6.5の撮影です。既にサハ866の姿は無く7865も約25年の仕事を終え、間もなく姿を消そうとしている瞬間です。

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最期に、S56.11.5に鷲宮~花崎間で撮影したカラー写真で締めくくります。踏切事故からの復旧と波乱万丈の人生でした。増え続ける、通勤・通学客の輸送に活躍し誰にも見送るらことも無くヒッソリと消えて行った電車達、本当にご苦労様でした。彼らの活躍は忘れません。今に私の心の中で73.78型電車は走り続けています。






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コメント

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No title

大変インパクトのある前面で、今のように情報があふれていない時代に出くわした子どもの頃、ものすごい衝撃を受けたのを思い出します。
高架化前の草加や北千住も懐かしいです。
7860形は鋼板屋根であるからか、最後の検査の写真では雨樋の上までセイジクリームが吹き込んで、張り上げ屋根の車のように見えますね。

7865は運転台を拡張した分、後ろの窓をひとつ潰していて、そこに立つと独特の雰囲気だったのを記憶しています。また、新栃木の7870形が検査で不足すると、時々春日部の7860形が貸し出されていました。昭和58年の年明け間もなくには7865編成が貸し出され、新栃木持ちの宇都宮準急や宇都宮線内ローカルに使われ、高運転台の前面がよく出ていたのを記憶しています。

また、細かいことですが7865と7866では、衝突の際の発火事故防止対策として母線を連結面に振り分けていますが、連結面付近での配管の曲げ方が異なっています。7866では、運転台正面に降りていた母線を後から振り替える際の標準的な引き方で、屋根上で貫通路の幅に曲げて、それから妻板の貫通路の両脇に下ろしていますが、7865では、新製当初から母線を連結面に伸ばしていた7870形前パンタ車と同様に屋根の端までまっすぐ配管を伸ばし、妻面で斜めに折って下に下ろすやりかた(貫通路の脇まで持ってきていたか、妻面両脇に下ろしていたかはよくわかりません)でした。

2000系以降ではなかった、このようないきあたりばったりのやり方でのバリエーションが、73・78のひとつの魅力ではなかったか、とおもいますう。

実車は見ていません

こんにちは。
モハ7865は、小学生の時に遊びに行った友人の家で、おそらく保育社の図鑑だったと思いますが、その本で見たのが初めてです。運転室を拡大し、運転士の後方にもスペースを拡大したこと、客席と窓を潰したこと、運転台を高くして、事故時の運転士の安全性を確保したこと、試験的な改造であり、まだ1両のみであることが書いてありました。

実車では、一度も見たことはありません。美観の点からは、進行方向左側も高運転台化したほうが良いとは思いますが、必要最小限の改造で済ます、ということがバラエティ上のおもしろさなのでしょう。

ところで、運転室扉の窓の下の補強板が、2色塗りの頃はあり、セイジクリームの頃にはありませんね。

No title

貫通扉のドア取っ手が従来車とは逆になっていますが、8000系のように助手席側を密閉できたのでしょうか。

Re: 実車は見ていません

 こんにちは。
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。

モハ7865の高運転台を初めて見た時は、衝撃的でした。他の78型とは全然違うなと印象でした。
一度草加駅で退避中の7865の運転士さんに、話しかけ他の78型と違い見通しが良いかなどを聞いてみましたが、運転士さんは、他の78と変わらんよとの答えでした。ツートン時代に運転台の窓下に見えるのは、補強板では無くクハの運転台の窓に反射した光です。

本文中にも書きましたが、春日部検修区の4両運用は2つしか無く、その内1つが78型の運用でした。7865も中々4両運用に入らず、捕まえるに苦労したものです。しかし、一度4両運用に入ると数日間連続することが多かったと思います。

Re: No title

 こんにちは、コメントありがとうございます。
7865は事故復旧時に高運転台化された際に、8000系のように貫通ドアで助手側を閉め切れるように改造されていました。S47の東武特集に運転台付近図が出ています。

No title

はじめまして

昭和50年代後半6両編成推進で4両編成と言えば『快速』か『日光準急』で
地味に生き残り

その快速や日光準急も6050系増備で
浅草
『6:39』は6両化
『5:59』は通勤車に車種変
『5:01』は細々と消滅まで4両でした

その後時代と逆行するように
半直開始後『平日2601』と『土休2291』に4両編成の復活
(2601は10両増結の送り込み、土休は増結無しなのでそのまま宇都宮線ローカルへ送り込み)

この78変則車もガキの時分に『なんだこの車両は?』って思いました

Re: No title

 南栗橋管理区荒川支所様、詳細な説明ありがとうございます。
南栗橋管理区荒川支所様のブログの中にありました、クハ8621の無線アンテナですが
2000系のモハ2100型にも1両付いていたのを覚えています。
私が中学生の頃の話です。昭和49~51年頃でしょうか。

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Re: No title

 こんにちは、元春日部市民様。
コメント、ありがとうございます。また、返信が遅くなり申し訳ありません。

73・78型の運転室の後ろの2名かけの席は、特等席でしたね。また中間運転台に入ることができ、車掌のマネをしたりして
遊んだものでした。今のなっては、全て想い出の中ですね。

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東武73・78型旧型電車

Author:東武73・78型旧型電車
昭和60年に消えた、東武鉄道の73・78系の懐かしい写真を紹介します。


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